| running | 2014年11月28日(金)

ただ走るのみ。

text_Ken Ono

先月、蒜山高原マラソン全国大会に参加した。これで何度目になるだろう、9度目のハーフマラソン出場となる。蒜山マラソンはハーフまでなので、フルマラソンに挑戦するようになってから良い力試しとなっている。

走ることとは無縁で、走ることの右も左もわからない、まさに手探りの状態でスタートして今に至る。きっかけは体調不良で、20代だというのに元気が湧いてこない。この頃よく体調100%があるとしたらいつもその半分をマックスだと感じていた。

そんなぼくが走ることをはじめて一体どうなるのだろうと思っていたが、今ではフルマラソンを走れるようになった。ハーフマラソン1時間55分の壁に長らく足踏みしていたが、それもようやく越えられた。

次なるマラソンに向けて鍛錬をつづけていると脚だけでなく上半身も自然としっかりしてきた。ようやくそれを実感できるようになってきた。体調もマックスで80%をイメージできるように。

となると、当初の目標は達成したように思える。今はもう何のために走っているのかなんて、もし問われたらわからない。だから今は、ただ走るのみ。ぼくはただ、走るのみ。

本業のほうもただデザインするのみと言いたいところだ。

| design | 2014年9月21日(日)

つくりながら見せる。

text_Ken Ono

プチモダン〜オランダにつながる旅の写真と雑貨のお店〜のホームページを少しずつリニューアルしている。プチモダンをはじめた頃から考えるとウェブ環境は大幅に変化した。

まず iPhone の登場で手のひらサイズのインターネットも当たり前となった。それに伴いホームページのサイズ感も多様化した。われわれもネット販売を休止してホームページを再構築していくことは自然の流れとなっていた。

プチモダンには、大きく分けて2つのコンテンツがある。ひとつは旅に関するもので、写真を織りまぜながらオランダのことを伝えている。

「NEWS」ではオランダについて調べたこと、オランダに行って知ったことを写真とともに綴っている。「TRIP」ではオランダの旅で撮りためた写真をひと言添えてそのときの雰囲気そのままに列挙している。これこそまさに写真でひと言!

もうひとつがオランダの旅を通じて出会ったモノ、手に取って選んだモノを紹介・販売している「ZAKKA」「EHON」である。狙って行くとなかなか出会えなくて、そんなつもりはなくってもいつのまにかたくさん手にして両手がふさがっていることもある。出会いってそんなものかぁ、つくづく不思議です。

これら性格の違うコンテンツが同時に存在しているのは、どこから入ってきても何から興味を持ったとしてもオランダにつながるでのはという思いからである。そもそもなぜ遠く離れた日本でオランダなのか、それはプチモダンのほうで。

さて、リニューアルであるがすべてを作りかえて一度にバーン!といきたいところだが、個人の体験からなる限られた情報の集積とはいえ何年にもなるとその量は膨大で幾重にも連なる。過去をバッサリ切り捨てるということも考えられるがキープコンセプトしながら次なるデザインの方向性を固めた。

目に見える水上では優雅にたたずむ白鳥のごとく、しかし水面下ではビフォーアフターよろしくの大改造、えっもう骨組みしか残ってないじゃんみたいな。本当はその逆で、中身をまるまる残して骨組みのほうをそっくり組み替えている。

ホームページはまさに家づくりに似ている。しかも、より工芸品の度合いが高まり、職人気質で、昔の日本家屋が出来上がるまでのような長いスパンで取り組む根気が求められる。

それならば、その家の出来上がる様をつぶさにお見せしてはどうかと。いずれは完成してそれまでのプロセスがどうであったかなんて忘れてしまう。その特別な期間はむしろスペシャルなコンテンツとなるのではないだろうか。

これからのホームページづくりはこういった方向になるのではないかと考えている。もちろんスピード感溢れるスタジオとの二極化は進むだろうが。

| product | 2014年7月20日(日)

完成がない。

text_Ken Ono

40歳になった。なんだかその数字に重みを感じたり、またその年齢まで年を重ねられたことに感謝したり、年をとったんだなって年だけとってしまったんだなって思ったりする。

40にもなるとイイこともあるもんだ。バルミューダのサーキュレーター「GreenFan」をプレゼントでもらった。家電好きのぼくにとってハートを鷲掴み、まさにド直球の贈り物に興奮が止まらなかった。

なぜこのGreenFanが気になっていることがわかったのか気付かれたのか、それはわからないが、実際手にして使ってはじめて理解できたことがあった。それは自然な風感である。嫌みもなく雑味もない自然なマウスフィールとはこのことかという感じ。

風を送る機械として扇風機は完成されたものと思っていた。多機能化は進み、低価格化もここまできたかと目を疑うばかり。店頭で見比べようにもそれは至難の業で「羽根がない」とか言われると思わず目を向けたくなる。

ところが羽根があるのに新しいなんて、モノに完成なんてないんだな、40歳は人生の通過点、まだまだ伸びしろがあるんだなって思わされたり思ったり。とにかく完成がないから頑張れるんだなって思う。

| design | 2014年5月29日(木)

最適な場所。

text_Ken Ono

ワイフの実家は、家業で管工業を営んでいる。名刺や封筒などグラフィックデザインでぼくも少しばかりお手伝いしている。

その事務所は、創業何十年の歴史というようなものが堆積して雑然としている。体を張ってなんぼの世界で事務所がキレイとかどうとかそんなことは二の次であった。

ところが、そろそろ世代交代を見据えて、事務所を片付けようという話が持ち上がった。このザワっとした空間がいったいどうなることかと思ったが、とにかくはじめることになった。

まずは、要るいらないの平成の大仕分け。思い入れの強いモノも多いからなかなか進まない。今時探してくるのも難しそうな重ーい事務用デスクにもストーリーがあって、そう簡単に買い替えるというわけにはいかない。

だから捨ててモノを減らすというよりは、最適な場所に再配置するという方向で進めていった。するとどうだろう、あんなに重く感じた、実際重いデスクが活きいきとみえてきた。

この世の中にデザインされてないものがないように、ものを最適な位置にデザインすれば活かされるということがわかる。

片付けは道半ばであるが、なかなか楽しい体験である。

| house | 2014年4月28日(月)

感度を高め、耳を澄ます。

text_Ken Ono

この春、久しぶりに大きく体調を崩した。あの寒い冬、新たな環境でのぞんだフルマラソン、これらを乗り越えてこのタイミングでなりますかという感じだった。

思えばこのタイミングしかないという条件が揃っている。暖かいのか寒いのか寒暖の差が大きく、風が吹いては乾燥し湿度が下がる。桜や桃の開花とともに花粉やらなんやらがたっぷり空中を舞う。

そんな折、春が来たと喜び勇んで庭掃除に精を出した。いまだ荒れ果てた庭の木を切り、草を刈り、集めては繰り返す。少しずつしか進まないが目にする景色の違いに達成感は抜群である。

春と秋、二度訪れるチャンスを逃さないためにも、季節の変化に感度を高め、大地の声に耳を澄ましたい。体調管理もそこからはじまるような気がする。

とにかく、マスクもつけず軽装で水分補給もそこそこに何時間も作業してのどをやられたようだ。動きにくくなっても、眼鏡が曇ってもマスクは絶対ですね。みなさま、お体にお気をつけくださいね。

| house | 2014年3月17日(月)

これは忍耐力なのか、身体能力か。

text_Ken Ono

ようやく春めいてきた今日この頃、日差しが暑いくらいに感じられる日もちらほら増えてきた。明けない冬はないということで少しホッとした。

築百年を超える民家に住みはじめて初年度から、これでもかと未知なる出来事を体験している。これはもう未知の幕の内弁当やわという感じ。

2月には2度の積雪を経験した。文明をすべて覆い隠すほどのホワイトな世界を目にすることができたが、歩いて外出することもままならない。まず長靴を持っていないのだから。こんな雪は珍しいと長年住んでいる近所のベテランも言う。

2月といえば例年ならもう春でも迎えようかという雰囲気を出してくる。それがどうだろう、寒さのマックスが日々更新されていく。今年はこれで乗り切ろうと考えていた暖房器具では間に合わず、あまりの寒さに無能力化していった。

気温に対する意識の許容範囲も広がり、室温10度を超えるこえないで心持ちが違った。自然と体のほうが寒さに対応していくのだから不思議。寒いことには間違いないが耐えられるようになってくる。漫然と生きてきた自分が、日常生活のなかで鍛えられていっているようである。

| house | 2014年1月29日(水)

寒さの感じ方が違う。

text_Ken Ono

冬の厳しさとはこういうことなのか。築百年を超える民家に越して初めての冬を迎えて思う。

秋の台風の折、屋内にいてカーテンがなびく様を見て、これはたいへんと思い冬に向けて大きな隙間を埋めていった。

隙間というすきまを埋めるということは到底ミッション・インポッシブルで、断熱という概念もいつしか頭の隅に追いやられてしまった。

これまで家の中にいれば外の環境とは隔絶された守られた空間だったが、外の気温との段差にびっくりすることもあった。守られていて暖かい、それはそれでよかったが底冷えする感覚もあった。

ところが今は、家から外そしてお出かけまで、それほど考えることなくシームレスに服装を選ぶことができる。つまり屋内が寒いということに尽きるが、寒さの感覚に敏感になれたような気がする。頭のてっぺんから寒いとか、冷蔵庫に入ったような包み込まれる寒さだとか。

暖の取り方も変わり、ストーブなくして越冬なしといったところ。隙間だらけの家もこのときばかりは十分な換気を得られて悪くない。ひとたびストーブを点ければ熱源となりじんわり暖まる。やっぱり火のチカラは偉大だな、暖炉はもっとスゴイのかなって気になってくる。

カーテンを間仕切りとして活用してる我が家では、暖かな空気と冷たい空気が一枚布で隔てられている。この大きな空気の層がある意味断熱なのかなとも思う。暖かな空気を幾重にもつくる、まさにエアーをコントロールしてるような感じ。

山のうえは寒いでしょとよく言われる。確かに寒い。それでも寒いにもいろんな寒いがあり、寒さの質が違うということがわかるようになってきた。